〜Archive 季節便り 2018〜

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February 2018

個展などで上映するビデオを作りました
以前作った時は軽井沢に来たばかりの頃でリンゴが風に吹かれて枝ごとに揺れている様子や 草の中に咲いている小さな花に感激し 
その光景を絵と一緒に観ていただきたいと思って制作依頼をしました

それから17~18年も経ち 軽井沢も自然が少なくなりました
今回は人生最終ラウンドを撮って欲しいと思い立ったのです

私は73才の時 手首に小さな穴を開けて そこから心臓まで管を通し狭くなった心臓の血管を広げステントを入れる施術を受けて生き延びました
この高額医療が出来る以前だったら 今 生きていないはず…
しかも 日本は医療保険制度が充実しているので この様な高価な治療が安く受けられたのです

私は今 過去の永い歴史の中には存在しなかった 新しい世代だと知りました
ですから 従来の老人像とは違う新しい生き方を探さなければ と思っています
このことをビデオで表現出来たか その思いを伝えることが出来るか 解りませんが 観て頂ける日を楽しみにしています

不二子
PHOTO: FUJICO


April 2018

私は20才の頃 絵描きになりたいと密かに思いはじめていました でも 絵画は描く個人の中面のみを直視して それを追い求めるもの と考えていたので それをハッキリ見つけることが出来ません…
当時 流行だった実在主義をかかげる文学は "個"は追いつめればどんどんその先に逃げて 奥へ奥へと入り込んでしまうもの と気付かせてくれ…

そして22才の時"グラフィック デザイン"をのぞき見る機会があり…デザインの基本は"コミュニケーション"だと知りました
自分と話すよりも 他のひとと話す方がずっと楽しいし 次ぎ次ぎ新しいことも思いつきます 他のひとと関わることで 職業にして収入を得ることも 出来るのです
以降 職業欄には「グラフィックデザイナー」と書いて来ました

54才になった時 また絵描きになりたいと思うようになり コマーシャルアートという分野を丁寧に作ってみたい と考えました
画廊の下請けで絵を売りはじめた頃 電車に乗り合わせた近所にひとに「売絵ほどいやらしいものはありませんね」と云われ… 若い頃聞いていた「売絵」という言葉が まだ生きていたのか と知り 「それだったら"売絵"で行けそうだ」と確信しました

音楽は 曲だけのものより 歌詞がある方が イメージが作りやすく 作者の言葉も聞こえて来ます
絵は メロディーだけの曲のようで なんとなく「気持が良いなぁー」と思って頂けるかどうか?
でも 発信しているメッセージは弱いかもそれませんが ずっと身近に置いて 毎朝 晩 見て頂くことは出来ます
「どうぞ 私の絵に 話しかけてくださいませ」

不二子
PHOTO : FUJICO

(季節と料理と音楽の店 軽井沢 VERANDA で撮影)


June 2018

軽井沢は緑がキレイな季節です

私は ゴン(ウチの犬の名前)の足が好き… 茶色い脚に白い靴下を穿いているのです そして走るのがとても速い
それと比べて 私の足は見苦しく 走ることも出来ない…
ゴンも私も 目でものを見、歯と舌を使って「おいしい!」「これはまずい!」を決めているし 二人共 耳を使ってジャズを聴くのが好き…

ゴンと私は一緒のベッドに毎夜寝ています そのベッドは両サイドに枕があり 上下の枕をそれぞれが使って…

でも どうして こんなに 姿 形が違うのでしょう? 私は毎晩 不思議だなぁーと思いながら 足先にゴンの息使いと暖かさを感じながら眠ります

ある日 棚の上に置いてある 私が描いたゴンの絵に 彼は気付き…
威嚇する姿勢で激しく吠え… 
平面に描いた犬の上半身像を見て犬と認識したことに 私は「すごい!」と驚きました

絵を描いていて 時々「私は何をやっているんだ?」…と手が止まります
私が住むこの空間に生き 咲いている花を切って 作りもののガラス容器に入れてそれらしく見えるように描く…

「きれいですねー」「私もこの花大好きです」などと 私の絵を見てくださった方に云われると… 私の目は戸惑ってウツロにさまよい…

これを書いている私の脇で ゴンは静かに昼寝をしています

マグカップが12種類出来ました

不二子
PHOTO: FUJICO


August 2018

西日本を中心とした大雨と酷暑 お見舞い申しあげます
広島や九州 四国から私の個展にいらしてくださっている方達のどなたか 今 ご苦労していらっしゃるのでは…と案じて居ります

私と一緒に仕事をしているひと… 軽井沢育ちで年齢は私の半分くらい…
彼女がある日「不二子さんのネコジャラシの絵の中に一緒に活けてある赤い小さな花は?」「あれはアカマンマ(イヌタデ)よ 子供のころママゴトのお赤飯だったの」
彼女「つい最近まであちこちに一杯あると思っていたのに 急に見なくなりましたね…」

私が子供のころ 食べる物が乏しくなってゆき…
ママゴトで カラスのエンドウはグリーンピースの代わりで砂に混ぜると〈お豆ご飯〉 庭の梨の葉を泥ダンゴに巻けば〈道明寺〉になったし 桃から落ちた小さな実を泥ダンゴの中に入れれば〈梅干し入りのおにぎり〉でした
敗戦直後に生まれた妹達はお赤飯も道明寺も知らず…ママゴトはどうしていたのでしょう…

疎開先では勤労奉仕ということがありハダシで田んぼに行かなければならず 足が痛くて オオバコの葉の上を選んで歩くようにしていたことも思い出します
舗装道路が多くなり 道端に沢山居たあのオオバコは今どうしているのか解りません

気候変動のため 人間の暮らしだけではなく 身近に生きて来た草達も辛い思いをしたり 絶滅の危機に追い込まれたりしているのでしょう

このひと夏 くれぐれもお身体大切に と念じあげます

不二子
PHOTO: FUJICO


October 2018

私がまだひとりっ子だった5才頃 ある日 両親と横浜松坂屋に行き そこで 濃茶のテディベアに会いました 「欲しい!」「買って!」とか云えない性格なのでただ小さな声で「あの熊 可愛いわね」…

翌日 父の仕事関係のスイスの方に昼食に招かれ行ったときに その方が 偶然 昨日のあのテディベアを私にくださったのです
私はドイツ語が話せないので 直接私に「あげる」とも云われず 「ありがとう」も云えず… その中途半端な気持ちをずっと引きずりながら この熊は私の一番身近かで大切なものになりました
ケンピンさんと呼ばれる方だったので「ケンちゃん」と名付け…毎夜布団の中で辛かったこと 悲しかったこと… みんなケンちゃんに聞いてもらっていました

高校二年生になった時 小児喘息から大人のひどい喘息になり…
ケンちゃんの毛も悪いのではと云われ仕方なく庭に穴を掘って葬りました
50代の終わりになり 絵描きとして スイスに滞在する機会が訪れ… 鎌倉に住む家族と離れて はじめてのひとり暮らし… すると遠い留守宅でいろいろ問題が起こり…取材費を出してくれていた会社に頼み 前借りをして鎌倉に送金してもらったりしました

「どうしよう…どうしよう…」と思いながら異国の街を歩いていたら ショーウインドの中にいるグリーンがかったベージュのテディベアと目が合ってしまい…
「今 熊を買うお金の余裕は無い」「でも ひとりぼっちは辛い…ケンちゃんのようなパートナーが欲しい…」
迷ったあげく その熊を連れ帰ってしまいました
ウインターテュールという街で会ったので「ウィンちゃん」と呼ぶようになり 以来一緒に居ます

70代になり 心臓病で入院 偶然生き延びることが出来…退院後 夫と離れてひとり軽井沢に戻りました

「My Partner」(ベッドのウィンちゃん=写真:一番下) 「Breakfast in Silence」(朝の食卓=写真:左上から4枚目)などのアクリル画シリーズはその時描いたものです

今回 このシリーズがブランケットになりました このサイトのネット販売のページでご覧いただけます
ブランケットは身に付けるものなので花の絵を使うよりウィンちゃんに手伝ってもらいたいと思ったのです



不二子
PHOTO: FUJICO


December 2018

丸善個展の期間中 息子は東京泊まりなのでゴン(犬)の散歩が出来ず 私はすぐ息切れするので無理です
その為 お散歩代行の方を頼みました 息子と行く時は 仕事の様な顔をして出掛けるゴンが よその素敵な若いひとは待ち焦がれていて ピョンピョン跳ねて大喜びします

彼がリードを付けようとしたら走り廻ってしまって捕まりません と彼が袋から小さな餌を出して渡そうとします… ゴンはそれも無視し… その時 私は密かに「そんな餌につられるんじゃあないぞ… やっぱり食べないか ヨシヨシ…」と声には出さずゴンに伝えました

ボリジョイサーカスの熊や イルカショーのイルカもひとつ芸をすると かならず小さな餌を貰います
その映像はずっと長い間 私の気持ちのどこかに小さなトゲの様に引っかかっていました
ですからゴンには躾らしいことはせず ただ家族として暮らしています

でも 熊もイルカも ショーに出演することを仕事として考えると その「報酬」は貰ってしかるべきものでしょう… では 私は? 「報酬」が無かったら 絵を描き続けてはいないでしょう…
多くの方々から 大きな餌を頂き続けて ずっと生計を立てて来たのですから

「今年も一年 本当にありがとうございました」

不二子


《長い冬の季節になりました》
霜が降りたある日 今年最後のバラを頂きに行きました 咲きはじめとは違う表情のバラを描いていたら その色調から マリーローランサンの原画をはじめて観た時のことを思い出し そして次ぎ次ぎ そのころの映像が見えて 異空間に居るような気分になり 過ぎてしまったあの時に戻った儘… スーッと描きあげました

不二子