〜Archive 季節便り 2014〜

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February 2014

アイザック・ニュートンが 「 私が世間からどのように見られているか知らないが 
私自身は海岸で遊ぶ小さな子供のようなものだと思っている 
ときに少しなめらかな小石やきれいな貝殻を 見つけて喜んではいるが 
真理の大海は私の前に未発見の儘広がっているのだ」 と云っています

私も子供のころ逗子の海岸近くに住んでいたのでガラスが波に洗われてなめらかな宝石のようになったものや 桜貝などを拾っていました

それを洋服のポケットに大切に入れて持ち帰っていたけれど そのガラスがもとは何だったのか 桜貝はどこから来たのか考えたこともありません
80歳近くなった今もあのころとまったく変わりのない日常です

春から秋にかけてハッとする草を探して走り廻り冬になると花屋さんに通って美しい色 気になる色を探しています

何色と何色の花を合わせ、どの花ビンに活けたら良いか?

その下に何色の布を敷いたらもっと美しく見えるか?

「なぜそれを美しいと感じるのか?」

「色彩の調和とは何か?」

「なぜ私はこのようなことに夢中になれるのか?」 そして「なぜ絵を描き続けているのか?」 それも解らないまま…

ただ単純に週2回・3回と花屋(FLOWER FIERD軽井沢)に行っています

不二子

PHOTO : YANO NAOTAKA


April 2014

私の個展会場に来てくださった方達から頂く質問はいろいろありますが

よく聞かれることは「絵のお教室はありますか?」

(答え)「教室は持って居ません」

「先生はどなたですか?」

(答え)「この方と特定出来る先生はありません 2歳頃から独りで描いています」

随分失礼なご返事をしていると思いますがこれ以上答えようとすると話がややこしくなってしまいます

私が小学校低学年の頃(どんどん物資が乏しくなり食事も貧しくなっていた時です)

同級生のお姉ちゃんがとても絵が上手と評判になり 私の周りの子達は競って「お姉ちゃんに絵を描いてもらって来て・・」と頼んでいました

その絵は目のパッチリしたお姫様で今のようにアニメのない時代ですのでみな賞賛の声をあげていました

私もその絵が欲しかったのになぜか「私も欲しい!」と素直にいえませんでした

家に帰りチラッと見たその絵を真似して描いてみましたが なんど描いてもうまく描けません そのことは私をとても傷つけました

同じ頃、家でよく見ていた分厚い皮表紙の「泰西名画集」にも打ちのめされ続けました

形も色もない水や 形はあっても色のないガラスをどうして本物のように描けるのか・・・

描いた人がいるという現実は子供の私には受け止められない大きさです

私の欲しい物は空の星のようでこれから先も手に届く事はないのだろう・・・という

無力感と苛立ち自己嫌悪と言えるような感覚を抱えたまま育ちました

絵を描くという事は表現方法、技法ではなく「なにを描きたいのか?」という事だろうし

それは各自それぞれが違う物を自身の内側に感じているものとおもいます

ですから先生から習うことも出来ないし教えるというものではないと考えているのです

結婚してからは 描かないでいると描けなくなるのでは・・・という不安を感じ 寝入って いる子供や テレビに夢中になっている子供達を鉛筆でスケッチし まだ大丈夫と 少し安心したり また忙しく描けない日々が続くと不安を感じたりとそんな生活をしていました そしてその後はスケッチさえできない時期が続きました 50歳を過ぎて介護も子育ても終わりまた描く事ができるようになり それからは「描く」ことだけに集中し続けています

《根開き》の不思議
2月の大雪は軽井沢でもニュースにはならないけれど沢山の被害がありました 1か月が過ぎてもまだ消えない雪の山 でもある日 木々の根元だけ円を描くように雪が解け土が現れる 下の写真の《根開き》があちこちに現れ春待ち気分が加速しました

PHOTO : FUJICO


June 2014

妹が《日本の色・世界の色ー写真でひもとく487色の名前ー》という本を 贈ってくれました
まず「カーキ色って何語?」と思い探したら カーキーはペルシャ語やヒンズー語で 土埃の意味だそうです

日本の色のページを見ていたら 母のことを懐かしく思い出しました

戦前は いつも和服をきていたので「小豆色」「お納戸色」「利久鼠」などと云っていたことを ぼんやりと憶えています

それに対して父は「朱色」とは言わず「バーミリオン」濃い青は「インディゴ」

そして「石井伯亭はプルシャンブルーで家の輪郭を描いたんだよ」などと教えてくれました

私は父の言い方の方が好きだったので うぐいす色と言った事はなく この色を表現す

る時は オリーブグリーンに少しイエローオーカーを加えて・・・となります

ある日 朝食の途中突然「ヒワ色」と言う母の声を聞いたような気がして

「ヒワ色ってどんな色かしら?」と本を開いてみたら 鳥のヒワの写真があり

「うぐいす色」の次の項に載っていました 私が毎日使っている「リーフグリーン」に近い色です

母の内面には 様々な自然の美しい色彩が豊かに広がっていたのかと 今すぐ

この本を持って 母の所に走って行きたくなりました

母は桜満開の日に遠くに逝ってしまい もうこの本を見せてあげることは出来ません

私は 毎日絵具を使っていますが 鮮やかな色を塗る時は 自分と色の間に隙間を感じます

でも「パーチメント」というチノパンツのような色は 塗っていて自分の内側にある色という感覚になります

パーチメントとは羊皮紙のことで その色をいうのですが パピルスが使われるようになっ

ても法典や重要なものには羊皮紙が使われていたそうです

そう言えば「カーキ色」にも違和感がありません 私のDNAをずっと遡っていったら 遠い西方の国に辿り着き そこで私は 書記をしているのでしょうか

不二子

PHOTO : YANO NAOTAKA


August 2014

私は 幼児期から "ひとりぼっち"と感じることが 多かったように思います

"孤独""疎外感"という言葉は知らなかったけれど どうしたらこの感覚からのがれることが出来るのか・・・いろいろな事を思いついてはそれを試していたようです

絵を描く事もその一つです

描く事は 私の中のもうひとりの私と親しく話し一緒に遊ぶことです

私の頭は 描いてみたいテーマを思いつき その完成図を妄想します

そして頭は早くそれを見たくなり 手にこれを実行するようにと要求します

手は「そんなの難しい」「面倒くさい」とか「たぶんうまくは行かない・・・」

などと云い 体は寝椅子に転がっていて 描きはじめる事を渋ることがよくあります

描いている間 頭と手は仲良く協力したり 思い通りに働かない手を頭がなじったりします

細かい作業に手が疲れてきて「やめたい」と云うと頭は「我慢して続けろ!辛抱 辛抱!」と云い続けます

絵が完成すると それをずっと外側から眺めていたもうひとりの私が その出来を採点し 気に入れば 私と頭と体と手は満足を分かち合うことができるのです

でもこの幸せは永続きせず 頭はまた新しい遊びを探します

小学校低学年の頃は 手がまだ上手に使えなかったので 頭は体に話をしていました

夕方 友達と別れた後"ひとりぼっち"になった頭は「チョット海岸の雲の色がどうなっているか見に行こうよ」 体は「お腹が空いたからもう家に帰る」 頭「・・・」

人生はよく道に例えられるけど 私の頭と手は ずっと饒舌に話し合いながら長い道を

歩いてきたように思います

明日は まだ行ったことがない知らない道を走ってみたい・・・

不二子

PHOTO : YANO NAOTAKA


October 2014

10月は1年間準備をしてきた丸の内での個展があり 私の1年は10月末で終わり お正月を待たずに11月から新しい1年がまた始まります

今年のテーマは《Holding My Ground》と個展案内状に書きました
様々な意味で自分の立場をハッキリとしたいと感じた1年でした
(《Hold one's ground》は慣用句で「しっかり大地に足を据える」
「自分の立場を堅持する」 「一歩も引かない」)

絵を描きながら思い続けた事は「今日描いている絵は本当にこれで良いのか?」
「良い作品と思われたいという考えや 思いつきが混じっていないか?」
「今までの経験に寄りかかって安易にその繰り返しをしてはいないか?」
そして「自分自身が感じる感覚との間に違和感は無いのか?」
《考えること》と《感じること》を区別することは意外に難しく 混同してしまうことがよくあります
絵を描くときは特に注意して 本当に自分が感じていることだけを注視したいと思っています

今 私は何に惹かれているいるのか?
なだらかな起伏のある斜面が続く広い草原は大好きな風景です でもこれを描きたいと思うことはなく その中に見つけたネコジャラシの一株に目は止まります

好きでよく見ているインテリア関連の雑誌では白い室内がやはり好きです
白く塗られた石の建物も大好きだけれど その全体よりも汚れた石段の強い影をひいた3段位の狭い部分に惹きつけられます

ある日 車で走っていると 広い駐車場の奥に 丈の高いネコジャラシの群生を見つけました
そのネコジャラシの隣に咲いていた一株の白いコスモスとやはりそのすぐ近くに茂っていたウイキョウ(フェンネル)と一緒に取ってきて活け
広い原っぱの記憶を心の中に眺めながら一枚の絵を描きました

どの絵にも描いていない背景があり 私自身の内側にはなつかしいストーリーの記憶があります

不二子


December 2014

10月28日 丸の内での個展が終わり1週間ぶりに帰宅しました
数日後 今日から仕事を始めようと花を探しに出かけ・・・
まずファーストフード店に行きお決まりのメロンソーダを注文しました

私は6歳の幼女の頃 毎日フラフラと知らない道を歩き回ってキレイなものを探していました
窓が可愛い洋館や野の花 ある日芝生の真ん中に本物のようなアヒルを見つけた時には驚きで息が止まりそうになりました
キレイなグリーンのメロンソーダは6歳幼女にタイムスリップするために大切な魔法の飲物です

店を出ると 駐車場の向かい側にアジサイがワインレッドに変色しています
「あれ欲しい!」 車を運転してくれている甘利さんが採ってくれました
「次はバラの畑に行きたい・・・」(幼女は「あれが欲しい!」と気楽に要求します)

菅平高原に向かう農道を走って行くと右側には金茶色に光る落葉直前の森が広がり左側はなだらかな下り斜面で林や畑です
「あっ!」
道路左わきにカモシカの親子連れがいます 無事にこの道を渡ることができるかしら?

バラ苗園は まだそれほど霜の被害もなく白にちかい薄色の花を採ることができました

帰り道 さっきカモシカとあったところでは目をつぶっていたら 甘利さんが「なにもないよ」
左側を見ると金茶色の森は美しく彼らはあの中を歩いているのかしら・・・と「スズメ スズメ 今日もまた 暗い道をただひとり 林の奥の竹藪の・・・」母が歌う声が聞こえます
うちに帰ったらおやつに不二家のショートケーキがあるかしら?

「プチラパンに寄りたい!」 ここはとても可愛いケーキ屋さんで入口のドアは真っ赤
手前には素焼きの鉢がありメドウセージが明るい紫色に咲いています
このメドウセージもいただきました 6歳幼女の頃は 感じても表現する力がなかったけれど 80歳老女は 職業絵描きになっていて 描く技術は多少身につけました
1枚の花の絵には秋色アジサイ、バラ、カモシカの白と黒いコートの色
金色に光る枯葉、赤い扉、メドウセージの紫、赤い苺、そしてセピア色をした
母の<スズメのお宿>など沢山の色が塗り込められています

不二子
PHOTO : YANO NAOTAKA