〜Archive 季節便り 2020〜

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February 2020

「地球温暖化を阻止しよう!…」
「持続可能な社会を作ろう…」とか
「環境負荷を減らして行こう…」

ついこの間昨年末にはこの様なスローガンがあちこちから聞こえて来て…
私自身の暮らし方ももっと見直して 今出来ることを 出来る限り実行しなければ…と思っていました

新年になったら 世界情勢はそれどころではなくなり… ボー然とするようなニュースが入って来ています 化学兵器が100発も使われたらプラスチックゴミ削減を唱えて日々努力することなど…「何になるの?」

ウチのゴン(犬)は風呂に入った事がないのに臭いもせず 胸の毛は真白です 靴も履かず氷った道も裸足で歩き 食事も必要分しか食べません その上 化学調味料など添加物が入ったものは ニオイを嗅ぐだけで ソッポを向くのです

自分の命を守ることは人間よりずっと優れていると感じさせられます
その上 ゴンの目はいつも優しく悪意を感じたことがありません

せめて 私はゴンに見習って 出来るだけ ゴンのように この一年を過ごしたいと思っています

不二子


April 2020

3月4日と11日 白内障の手術を受けました 目にメスを入れるなんて「恐い」と長い間思っていたのに 現実にそれが近づいたら 脳は賢くて「新しいレンズになったら どんな世界が見えて どんな絵が描けるようになるのか?」という期待に切り変わってしまいました

予診の日 お医者さんに「左目を手で隠して右目で見てごらん」と云われ そうしたら 先生は男子トイレのサインぐらいにしか見えず 次に左目で見たら普通に見えました 気付かずに左目だけで絵を描いていたのです 今回アップした〈今月の作品(4月号)〉のページは すべて左目の作品です

右目の手術が済んだ次の朝 壁の絵を眺めたら 右目は普通に見え 左目では すこしボケて見えました 「なんだ 大したことは起きなかったんだ…」

ところが4日目の朝 カーテンを開けて 右目だけで眺めたら 「アッ!」 
すべて白っぽく光り輝いています 左目に切り変えると茶色がかって少しボケて見えました
"レモンスカッシュ"と"ミルク紅茶"を目の前にした時のような違いなのです

左目も新しいレンズにしてしまったら「"レモンスカッシュ"だけになってしまう…」
「"ミルク紅茶"も悪くないなぁ…」と左目自前のレンズに未練を感じました

次回の〈今月の作品6月号〉のページでは"レモンスカッシュ"を眺めるような目で描いた絵をお目に掛けることでしょう 楽しみです

不二子

写真④⑤⑥は 北軽井沢で偶然知り合った若い写真家志望の川越崇士君が撮影。
⑤は 川越君の師匠 田淵章三氏と不二子。⑦は 川越崇士君。①②③は近くにあるキャンプ場です


June 2020

群馬県の方が突然「牡丹」を持って来てくださいました
それをすぐに描きはじめたら その夕方 軽井沢の知人が「ヤブ椿」を沢山切って来てくれました

偶然「牡丹」と「椿」は私がモチーフとして決して選ばないもの達です
なぜ「牡丹」と「椿」を避けて来たのでしょう…「牡丹」を描きはじめて気付いたことは その素材と私の間に 距離を感じ続けることでした

逗子(神奈川)に住んでいた子供の頃 砂の庭に一ヶ所だけ 黒土を入れた花壇があり 母が見事な花の「牡丹」を大事にしていました 「馬フンが落ちていたら教えてね」と云われ 荷馬車が通った後に馬フンが落ちているのを見つけると母の所に走って知らせ 母はチリトリを持って それを拾いに行き「牡丹」の根元に入れていました
私が自由に摘んで良いのは デイジー センニチコウ カイザイクや野の草花で 「牡丹」をママゴトに使うなど思ってもみないことでした

当時の私は 母と比べ体が小さくてカッコ悪く その上 手も不器用でいろいろな事が頭の中で空想するようには 旨く出来ません
そして よく怒られていました

大人になってから 母と争ったことは無いし 憎んだことも無いのに 心の奥底に幼い頃感じていた劣等感がまだ消えていなかったのかもしれません
母が晩年暮らした吉祥寺(東京)の庭には椿を植えていて 毎年咲いた花の数を数え「来年は何輪咲くのかしら? 来年も見ることが出来るのかしら?…」と云っていました 母にとって「牡丹」と「椿」は特別なものだったのでしょう

これほど 沢山「花の絵」ばかり描き続けられるのは 毎回違う記憶の旅を続けられるから…なのか と感じながら また 描きはじめます

不二子


August 2020

ウチの居間の前は林で そこに小さなリスが住んでいます テラスにカボチャの種を置いたら その一粒をテラスにあるシダの鉢の中に隠したようで 次の日 鉢に乗ってその獲物を掘り出し木の枝に戻って食べました

庭のフェンスにブドウを絡ませています 今年はその蔓が茂り過ぎて「どうしよう」と思っていたら その脇に息子が立てたテントのロープを見つけたようで蔓達は競ってその綱を登りはじめました

知人から頂いたミントの小枝を土に挿してみたら一本も残さず みな根が出て 今は元気に育っています

去年まで 冬の間はFLOWER FIELD(軽井沢の花屋)に通い花を買って描き 自然の草花がある期間は走り廻って取材をし見つけた草花を描いていました 今年はその取材をやめてFLOWER FIELD仕入れ担当の上原君に毎週届けてもらうことにしました
彼に繰り返し言ったことは「不二子さんが気に入るか?ということを考えないで 自分が欲しいと感じるものを持って来て!」
私も 他の人のことは解らない でも自分のことだって解らないことが多いと感じます

「新しい日常」の行き方は「どうするのか?」自分のことをよく見つめて リスやブドウの蔓のように「どう生き延びたら良いか?」全身の感覚を使ってみたいと思っています

不二子


October 2020

コロナ禍のため 日常生活にいろいろ不自由を感じ 気分が晴れない日が続きます
最近は戦中戦後のことを身近に思い出すことが多くなりました

「記憶」が詰まった私個人用の引き出しを開けて見ると 普段忘れていることをいろいろ探し出せます 
古いアルバムを見返している時のような感覚になり それに集中しはじめると次々思い出したくなり 
すっかり忘れていた事の数々が昨日のことのようにその映像が浮かび上がります

「記憶」の映像は4才の時見たものも74才で初めて経験したことも同じ場所に保管されているのです

小学2年生の夏(小学1年の時開戦)逗子(神奈川)の海岸近くの橋の上に立って満潮に乗って魚が上がってくる川の流れを見ていた時のこと…海水浴に来られたらしい方が 
カメラを出して川の景色の写真を撮られました と突然そこに憲兵が近づいて来て そのカメラを取り上げフィルムをサッと抜き取ったのです

今 その時の情景を 私の「記憶」が一杯入った引き出しから見つけたのは 今 あの時のような不安感が皆の中にあって 
他のひとを疑ったり監視、攻撃するような心理状況を見聞きすることが多いからでしょう

私が描く絵は ほとんど「記憶」の物語がある植物です そして目新しい素材に出会った時は新鮮な気持ちで向き合い「記憶」の引き出しに追加します

楽しかった「記憶」を沢山見返してみたいと 今感じています

不二子


December 2020

私の母が戦中、戦後 楽しみのない日常を強いられる疎開先で土間に裏の雑木林で採って来たリンドウの花を活けて「キレイだねぇ」と云っていた事を何度も思い出します

母の孫娘が今年になって私に「おバアちゃんは「リンドウが好き」と云っていたから リンドウを買って来て飾っているの」と云いました その時 母のリンドウは今花屋さんにあるものとはまったく違うのに…と密かに思っていました

と その直後 偶然 野生のリンドウをひと束頂いたのです 軽井沢で造園業を営む知人が 管理を引き受けている広い庭で野生のリンドウを見つけ何年かかけて殖やしたものだそうです

私は大喜びで ダンボール箱からそのリンドウを取り出し「アッ!これだ」…
空になったダンボール箱には いっぱいのダニと小さなグリーンのクモ その他にも小さな虫が残されていました それを見た瞬間 私の内側になにか解らない暖かな感覚が湧き上がりました

このリンドウはこんなに沢山の命を守って来たんだと気付いたのです

すぐに活けて描きはじめましたが この花は日が射すと開いて淡いブルー 日が陰るとすぐに閉じてうす紫色になります

ぼんやりとした儘 日々は過ぎて行くけれど自然は こんなに様々な命に溢れているのだと 私もこの自然の中に生かされていると感じながら「リンドウの絵」を描きあげました

2021年が平穏でありますように と念じます

不二子