〜Archive 季節便り 2021〜

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February 2021

このページ(季節便り)の12月にご紹介した「野生のリンドウ」をくださった知人から 年末に又「からすうり」を沢山頂きました
それを どう描こうか?と見ていたら 突然戦時中疎開先の映像が現れました

お茶畑の脇を歩いている時 四角く刈り込まれたグリーンのテーブルのようなお茶の上に 白いレース編みの花ビン敷を思わせる花が点々と乗っているのです 
パイナップル編みのレースと同じものが どうして自然の中にもあるのか?

早く母に見せたいと思い その花を手で掬ったら その白いレースはこわれてしまいました
この花が「からすうり」だったのです

自然の中にある作ることが出来ない「大きなもの」を自分の手に入れたいと切望する衝動が 古くから私達に沢山の「もの」を作り続けさせています

美しい色の花だけではなく 波や風 星や光まで自分の手の中に掴んでみたいと…夢を抱きます

「リンドウ」の知人が「今年は浅間山麓に咲く花を 春からシーズン終わりまで届けるつもりで 4月は何 5月は と考えているんだ」と私に約束してくれました 
軽井沢周辺はどんどん自然が失われていて 野生の花も消えて行きつつあります
彼の提案は私にとって今年の大きく楽しみな予定になりました

少しでも良いことのある一年になりますように

不二子


April 2021

1月8日 私の夫が肺炎で入院 その後話すことも無く 体を動かすことも出来ず 点滴と酸素吸入だけで過ごし 2月26日に永眠しました
何度も危篤と云われ「命の尊厳って何?」と思い続ける日々でした 「告別式」「火葬」「納骨」は息子達に任せ 私は家に籠もって絵を描き続けていました
その後 面倒な手続きがいろいろとあり 3月11日突然 息子と私は鎌倉市役所と隣り街の藤沢にある墓地に行くことになりました
私にとって長年住み馴れた鎌倉を訪れるのは13・14年振りのことです

長野県にあるウチの近くの風景は すべて茶色で樹木も草もまだ冬眠中…(一番上の写真)

ところが車で3~4時間走っただけなのに 湘南は今、春真っ只中… 木々は美しい緑色で菜の花も終わりかけて…
「ア!海」 海は美しいブルーに光っています

湘南は良く知っている景色のはずなのに 国外の街に迷い込んだような 夢の中に居るような 不安定な感覚になりました

今年はイースターが早く 4月4日です 私はひと足早く 死と復活の祝日を迎えてしまいました

私も持ち時間が限られて来ているので 少しでも沢山の絵を描きたいし 新しい「何か」を手に入れたいのです
今朝は 家の窓から 外の枯葉と落葉を眺めながら 春が来るのを待ち焦がれるばかりでした

不二子


June 2021

軽井沢の野草が激減しているようで 見馴れてきた草花に あまり会えなくなっています  今年は その貴重な野草シリーズを描いてみたいと思っていたところ それを頂くチャンスに恵まれました

《シロハナエンレイソウ》
シロハナエンレイソウはカタカナで聞くと なかなか憶えられない名前ですが 図鑑に「延齢草」と書いてあるのを知ったら 忘れることが出来なくなりました
薬草として使われていたのか?それとも冬になると枯れて消えてしまうのに 春にはまた復活する その様子に憧れを感じたのか? 私も老齢なので もう一度若くなって 人生やり直してみたい と空想したくなりました

《羅生門かづら》
「羅生門かづら」は紫色のやさしげな花なのに「何故 こんな名前を付けられたの?」
羅生門で腕を切られた鬼の腕を連想させるから と知ると 無理に考えれば 花が鬼の爪に見えなくもないか…
古い時代から そう呼び続けられて来た名前なのだろう?と気付いたら この花もその名称も大切にしたいと思いました

《吾妻シャクナゲ》
シャクナゲが欲しくて鎌倉の庭に植えたら 枯れてしまいました その時 ヒマラヤに咲く花と聞いていたのに軽井沢では あちこち見かけます 種類が多いと知りました シャクナゲは病気の「癪(シャク)」を「投げる」という意味で この堅い葉っぱを煎じて飲んだことが名前の由来だそうです 今 病名は細かく云うようになり「癪」は過去の言葉になってしまいましたが シャクに触ることがあったら この葉っぱを触れば 多少癒されるかもしれません

これから ずっと先の未来に向かって浅間山麓の草花や木々の花が生き続けられますように と切に願うばかりです

不二子


August 2021

今年は 今まで描いたことが無い浅間山麓に自生する素材が次ぎ次ぎ手に入り とてもうれしくて集中し描き続けています 人が栽培した花達を描く時はこちらが観て 出来るだけその美しさを表現しようとします ところが今描いている野生のもの達は 切って活けられても 生きていて彼等が私を凝視し続けるのです 「見られている」という感じが強く「私が観る」という"ゆとり"を持つことが出来ません

先日「シモツケ(一番上の写真)」を描いていた時は花の香りが強いなと思っていたら 蟻もそれを嗅ぎ付けた様で 行列を作ってアトリエに入って来て 花ビンを登りはじめました これは初体験の出来事でとても驚きました
「蟻も有機栽培の蜜が好きなんだ…」と思うと なにかうれしくなります

自然の中で永い間生き続けて来た植物はみな その命を継いで行く事に長けています 蜂や蝶を呼び込むもの 蟻などの虫に助けてもらうもの… みなどうやってこの様な知恵を手に入れたのでしょう…
自然の大きくて不思議の世界を覗き見て目眩がするような感じの毎日です

5月に描いたツバメオモト(今月の作品2021年6月に掲載した作品14)の実がブルーになりました

不二子


October 2021

浅間山麓の野草を描き続けています
自然の中に生きる草花達は人間のことなどまったく考えず ただただ短い持ち時間の中で次世代に命を繋ぐことに集中しています
その姿は凛として清々しく感じられ 私はその世界に魅せられてそこから離れることが出来なくなっています

あまり外出も出来ず ひとに会って楽しむことも遠慮する日々なので ひとりで絵を描く時間は充分あります
絵を売ることで生計を立てて来たのに今はただ野生に生きる植物に向き合うことだけに集中しているのです

先日「なぜ絵の背景を描かないのですか?」とまた聞かれました 草原に居る野草の写真を撮り それをその儘絵にしたら それは私と対峙する別の世界の出来事になってしまうと思います

余白を作ることで その主題が私の内側にスーッと入って来るように感じています
掛軸になっている"書"はその余白によって伝えようとする主題を知らせてくれます

私も絵に余白を残すことで 生きている草花の命と その美しさが 観てくださる方々にスーッと入って行くような絵が描けるようになりたいと思い続けているのです

不二子


December 2021

浅間山に自生する植物を描き続けて一年が過ぎました 私の住まい近くは人間が多くなり野生のものは手に入りにくくなっています

鹿や熊達が暮らしている山腹に生きる植物は今も鹿に食べられない様にと工夫をし続けているけれど 私に切られ花瓶に活けられるとは予想もしていなかった事でしょう

人に「キレイネェー」と云われる事など知りもせず ただ蜂や鳥を呼び寄せ種を作り それを次世代に繋いで行く事だけに全力を注いでいる姿は 清々しく毅然とした美しさでただ圧倒され 私の生き方に大きな影響を起こさせました
2021年のホームページを読み返してみると同じ様な事を書き続けて来たけれど 今の私が思う事はこれだけなのです

山ブドウが描きたくて探し続けているけれど 蔓はあるのに実は見つけられません 今年はそれを頂いたので大喜びで描きました(↓写真:山ブドウ)

描きながら想ったのは 店頭に並ぶブドウはみな大粒で皮まで食べられ種も無いものばかりになってしまったことです
息子が幼かった頃 ワイン色の小さなブドウ(デラウェア?)を房からはずして幼児用のお皿に入れたら 彼は皮と種をちゃんと分別して出し その事に私は感激したことを懐かしく思い出しました 日常から自然が随分遠くなってしまったようで寂しさを感じます

不二子

2021年が平穏でありますように と念じます

不二子