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私は、4歳から喘息があり、運動会や遠足とはあまり縁のない育ち方をしました。
夏、逗子海岸は賑やかで私が座っている室内までそのざわめきが聞こえてきたのを憶えています。喘息の発作の時には、横になることが出来ないので、布団の上におひつを置き、布団をかけ、それを抱えるように座ってうつぶせに眠りました。小児喘息は、春と秋だけでしたが、高校に入って大人の喘息になってからは、重症になり、這いつくばったまま身動きも出来ないような発作に苦しみ続けました。
18歳の時は、布団の上に方ひざを立てて、それに体をもたせかけるように座っていたら、母が花のような形のガラスのお皿に苺をのせて持って来てくれました。「苺を食べるのは、これで最後だろうなぁ―」と思いながら苺を見ていたら、安物のカットガラス風のお皿も苺も急にキラキラと輝きました。苺をこれから何百回食べる分、この一回で味わいたいと思い、パステルを使って苺の絵を描きました。年が離れている妹たちとも別れがたく、何度も繰り返し彼女たちを描きました。この後2回だけ同じような美しい光景を見ています。
10年ほと前、このことを知人に話したら、「私も知っているのよ」とのこと・・・ 彼女は、それより数年前に息子さんを亡くされたのですが、「それがちょうど桜が満開の時期で、教会での告別式の時に眺めた桜は、それはそれは美しく光っていたのよ。」
「神父さんにそのことを話したら、『それを《末期の目》というんだよ』と教えて下さったのよ。」
「・・・でも、次の年には、あんなにきれいな桜は、もう見られなかったわねぇ―」
あれからず―っと長い間、息が苦しい苦しいと言いながら生きています。そして絵も描いています。
(2002年2月1日)
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